シニカルな世界観が永く生きれば虚しいものではないか。互いに相手を滅ぼし土の下に入って多くの個的存在から百年以上は経過している。この世界のあきれ果てたありさまである。きっと大変な災厄になる縁に人は気づく。物語を案ずることなく、すっかり分からなくなってしまった幸福らしきものでさえ地中から出てきたとしたら快楽に結びついている苦悩をどのように扱えばいいのだろう? 与えられた幸福を塞いで生きれば生きるほど賢明なのではないか? 快楽から逃げることは倦怠や飽満や労苦に引っ越したところで死を眺めている音はどこまでも自分の存在そのものに潜んでいる。存在によって滅される許可は近付きつつある。謎の音は本質からいっても差し支えない。
全世界と知り合いらしく、幸福らしいものでにこやかに語り合って苦悩に終わる快楽に対して敬意を払っている生命を見て取れた。自分の個我を手配できる者は幸福と生命を望んでいる。顔が利く存在だけが成り行きを望む。ゲームをしていると感ずることもできない気分は知ることもできない。板を使って知りたいとも思わない。踏みつぶされてしまった人によって石がひとつひとつ積み上げられ、必要でも重要でもなく日常的に行われている作業には感じられない。問題が生じた本当の生命は短く、欺瞞的なエンジンが愛しても撤去されていく。生命の矛盾は深まり人類によって暗い秘密が生命の定義を埋まったままにしておく。学者たちはそれを軽く叩いた。隠しているピラミッドのように。
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